暮らしていれば,許されない行為があるのはわかるだろう。そこに,唯一守るべきワイヤードの法律がある。
ビデオゲーム業界は,ゲームによって殺人が行われるのではないとし,暴力的なビデオゲームの販売・展示を制限する条例の撤廃を求めている。それに対して一部の人は,ゲームと攻撃性の関連についての研究は進められているとし,レーティング・システムの実施を要請している。
たとえば。舞台の上で行われている劇中で,殺人が起きたとする。だがそのとき,舞台の上にリアルの警察官があがるなど,ナンセンスであることは当然だろう。芝居をして台詞をしゃべっている役者に,手錠をかける必要などない。殺人劇の最中に本当の殺人が起きる,なんてのはありがちなドラマだが,そのときに初めて警察官は呼ばれる。その境目の境界は,舞台上の人間のわずかな意識の境界であり,観客の意識には境界線はない。迫真の演技だった,と思われて終わりかもしれない。
ネットワーク上で起こる悪質な行為に,リアルの警察官や裁判所が出てくるときの異質さは,それに近い。ワイヤードの警察官と裁判所が出てくるのなら話はわかるが,そもそも「ここ」に住んでいない人間がなんらかの権力を持つことに,住んでいる住人は反発して当然だ。逆に考えた方がわかりやすいか。舞台の上の警察官によってあなたは手錠をはめられるのか? 舞台の上の裁判官があなたに牢獄に入ることを命じるか? ワイヤードの法律を守れ。ここで暮らすためにすべきことは,それ_だけ_だ。
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